東京港の歴史

今まで何回か東京港についてコラムに取り上げましたが、今回のコラムでは東京港の歴史についてご紹介したいと思います。

東京港の2019年度(2019年1月から2019年12月まで)年間コンテナ取扱数は501万TEU(20フィートコンテナ換算数)であり、日本で最も多くのコンテナを取り扱う港湾と言えます。ただし、その歴史を紐解くと、国際貿易という観点では、昭和時代初頭までは横浜港の方が東京港よりも規模が大きく、東京港が世界との貿易窓口として日本を代表する港となったのは1950年代以降なのです。

ここでは、東京港がどのようにして日本を代表する港になっていったのか、簡単にご説明したいと思います。

東京港の前身は室町時代(1400年代)にまで遡ります。室町時代の武将、太田道灌(おおたどうかん)によって江戸城が築かれましたが、その際に港(いわゆる、江戸湊)も作られました。当時は現在の日比谷周辺は日比谷入江と言われ、海岸線は現在の皇居付近まで広がっていたと考えられています。その後1600年代になり、江戸幕府を開いた徳川家康は現在の駿河台(千代田区に位置する台地)を削り、その土で日比谷入江を埋め立て、江戸湊を整備、東京は港湾都市として変貌を遂げることになります。

ただ、多くの方がご存知の通り、東京を中心とする関東地方は関東平野と言われ、広大な平野が広がった地形となっています。つまるところ、東京の海は遠浅であるということなのですが、この地形こそ、長らく横浜港が国際貿易上、日本最大級の港湾であったということの理由の1つとしてあげられます。

そもそも江戸時代は鎖国状態であり、当時の江戸湊はもっぱら国内貿易の拠点として利用されていました。1853年にペリーが江戸湾の入り口、現在の神奈川県横須賀市沖に来航すると、日本は開国を迫られることとなります。開国に際し、東京港の規模拡大を余儀なくされた明治政府は、隅田川の河口を整備するなど、港を建設すると共にその土砂で現在の月島や芝浦といった地域を埋め立て、造成を開始します。

このように開発が進められていきましたが、ちょうどこの頃、世界を運行する船舶は帆船から蒸気船と姿を変えるとともに巨大化していきました。そのため、前述の通り遠浅であった東京港は外国貿易が許されず、代わりに水深の深い横浜港が世界との貿易窓口である「開港場」として利用されるようになりました。もちろん、横浜よりも東京の方が人口は多く、東京港を世界に向けて開港してほしいという声が広がっていくのは時間の問題だったのですが、東京港が日本を代表する国際貿易の拠点となる契機は1923年の関東大震災、および1931年の満州事変であったと考えられています。

1923年の関東大震災は陸上輸送を分断、市民生活を支える物資の輸送は東京港を拠点とする海上輸送によって支えられました。そのため、東京港は大混雑となり、多くの関係者が規模拡大の必要性を唱えるようになりました。そしてその流れを決定つけたのが1931年の満州事変です。皮肉なことに時として戦争は戦争特需という好景気をもたらすのですが、当時の日本経済は軍需拡大により中国大陸との貿易量が増え、これに伴い1941年、ついに東京港が世界に向けて開港されます。

現在に至るまで多くの埠頭が建設され、コンテナ船の巨大化に合わせ港湾も拡張の一途を辿っていますが、東京港がこのように世界貿易の玄関口となってまだ100年も経っていないと言えるでしょう。

このように歴史を俯瞰すると、今後東京港、ひいては物流業界がどのように変貌を遂げるか、未来を想像するだけでも楽しくなってきます。当社も物流会社として、過去から未来へバトンを繋ぐべく、様々な取り組みを今後も実施して参りたいと思います。